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43January, 2000
90年代のワインの世界

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。今年も機山ワイン、機山ワインのホームページをよろしくお願い申し上げます。みなさんはどのような新年を迎えたでしょうか。注目の2000年問題は無事乗り切れたでしょうか。2000年という数字はとても新鮮に映りますが、平成12年と思えばいつもの正月というさめた見方もできます。ワインの世界でも昨年後半あたりから”2000年ワイン”や”2000年シャンパン”というものが売り出されていました。ラベルやパッケージの話題性がワイン市場では重要だといわれていますが、中身は少々特別なものが詰められているにせよ、2000年と書いてあるだけで、お客さんは満足してくれるのだろうかと思ってしまいます。日本と季節が逆のオーストラリアでは、2000年の元旦に収穫したぶどうから文字通り2000年ワインを造ることを計画しているグループがあるようです。いくらオーストラリアでも1月は日本の7月位の季節に当たりますので、早熟の品種でも十分に糖度があるぶどうを収穫するのは難しいでしょう。やはり話題性先行の感は否めません。

90年代のワインの世界

10年一昔といいますが、時代の流れが速いこの頃は数年前のことを思い出すのにも苦労します。この10年のワインを取り巻く環境は過去に例を見ないほど大きく変化しました。それも技術革新などの内に向かった変化ではなく、外に向かった、あるいは外からの働きかけによって起こった変化でした。95年頃から巻き起こった赤ワインブームは世界で情報を共有することで増幅していきました。ポリフェノールという、それまでは専門家しか知らなかったような物質名を誰もが口にするようになり、そのために赤ワインが品薄になるという事態が起こりました。日本でも健康情報がワイン売場に掲げられる一方、有名ソムリエがもてはやされ、ワイン学校には若い女性が押し寄せました。90年代前半は天候が良い年も多かったようですが、そのワインは一気に消費され、お陰で多くのワイナリーでは在庫調整がすすんだといわれています。赤ワインは熟成期間の短い早飲みタイプのものが好まれるようになり、消費者の嗜好の変化も表れてきました。このような状況は日本も同じで96年頃からは醸造用ぶどう原料の価格も急速に上昇していきました。90年代後半不況のどん底にあった日本で、唯一と言って良いほどの好況を呈したワイン業界はマスコミへの露出度も大きく、羨望の眼差しを向けられたものですが、実はバブル好景気に沸いていた頃、ワイン業界がどん底といってよい状況にあったことは一般には知られていません。
さて、次の10年はどのようなことがが起こるのでしょうか。もちろんそれは誰にもわからないというのが正解でしょう。しかし、ある程度の不確かさを含めた予測はしておく必要があると思います。”ブームの後始末”ということがよく言われます。2000年代はこれから始めなくてはなりません。赤ワインブームの最中のワイン造りをよく振り返り、そのときになにをするべきだったかを考えることが必要でしょう。またアメリカやオーストラリアなど広大な土地が残っているワイン産地で、ワインブーム中に新たに開拓されたぶどう園から多くの収穫が得られるようになったとき、当初の計画通りワイン市場が拡大していなければ、原料ぶどうは瞬く間に供給過剰になると考えられます。それは原料代の下落というワイナリーにとってメリットとなることだけをもたらすとは考えられません。これからは消費者の情報武装が一段と進み、より品質の高いワインが求められていくでしょう。その流れはすでにはじまっているように日々感じています。また世界が狭くなればなるほど、より地域性を持ったものが重要になるという一見逆説的な見方も生まれてきます。あらゆる状況をふまえ、造り手の納得によって裏打ちされた品質をもったよりメッセージ性の高いワインが求められていくと考えています。